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地名の由来を調べると、その土地の歴史背景が見えてくることがあります。 今回は私たちおんじ屋がお米・ミルキークイーンを栽培する三重県度会郡度会町の歴史を調べてみたので、ご紹介します。   【度会県】 明治元年、明治新政府から「府・藩・県三治制」という方針が打ち出され、現在の三重県域には「度会府」が置かれました。 天皇神宮参拝計画や神仏分離化の方針に伴い、度会府は伊勢神宮の守護などを担いました。 しかし翌年7月、府は東京・京都・大阪の3つに限定され、他の府は「県」と改称され、度会府も「度会県」となりました。 明治4年、「廃藩置県」により、三重県域は、伊勢国北半分+伊賀国の「安濃津県」と、伊勢国南半分+志摩国+紀伊国牟婁郡の一部の「度会県」の2県となりました。 翌年、安濃津県は三重県に改称し、度会県の一部が三重県に引き渡されました。 そして明治9年、度会県は三重県と統合され、現在の三重県が誕生。同時に度会県は廃止されました。   【度会郡】 廃藩置県の際、「伊勢国「渡相(わたらひ)郡」が分割され、現在の「度会郡」が生まれました。 「度会郡」の語源は、現在の宮川が「わたらひの大川」と呼ばれていたことに由来しています。   【度会町】 1955年、いまの度会町域にて四村(中川村、内城田村、小川郷村、一之瀬村)の合併が行われました。この時、地名の公募を行い、度会郡のほぼ中央に位置したことなどから「度会町」と決定されました。 度会町といえば、町の真ん中を優雅に流れる、日本一の清流「宮川」。 地元の町民の方によれば、昔まだ道路が整備されていない時代、町民や学校へ通う子どもたちは宮川を渡し船で往来しており、川を「渡り合う」→「わたらい」と言葉が派生したという説もあるそうです。 時代ならではの温かさを感じますね。   度会町の地名には、ある意味日本の中心であった伊勢地域の歴史の名残が引き継がれているようで、 時のつながりを感じます。