三重県度会郡度会町の歴史に想いを馳せる~地名の由来から~度会県お米づくりプロジェクト参加者募集中!

地名の由来を調べると、その土地の歴史背景が見えてくることがあります。
今回は私たちおんじ屋がお米・ミルキークイーンを栽培する三重県は度会郡度会町について、
その名の由来を調べてみました。

■地名の由来■

【度会郡の由来】
宮川の流域に位置する郡。古代の神郡が分割され、伊勢国「渡相(わたらひ)郡」から「度会郡」となる。
伊勢神宮の神領の境界をなし、神域に入るための禊をした神聖な川「度会の大川」(現在の宮川)に由来する。
なお、宮川の呼称は伊勢神宮の近くを流れていたことに由来する。

【度会町の由来】
1955年、中川村、内城田村、小川郷村、一之瀬村の四村合併の際、公募を行い、度会郡のほぼ中央に位置したことなどから決定。

度会町に60年以上住まわれている方は、昔通学の際、宮川の渡し船を使っていたそうです。
雨の日も、風の日も。
その宮川は、日本一の水質を誇る川として優雅に流れています。
私たちの田んぼへも、宮川へと流れる源水が注いでいます。
この宮川、古くは伊勢神宮の禊に使われた神聖な川であり、
伊勢神宮の近くを流れていたことからそう呼ばれていたそうです。
また「度会の大川」とも呼ばれ、度会郡はこれに由来するようです。

昔から伊勢神宮や宮川と関わりを持っていたということで
とても素晴らしい風情を想像させられますよね。

 

■度会県の誕生と廃止~廃藩置県~■

さて、時代は明治に移ります。

明治元年(1868年)、明治新政府は「府・藩・県三治制」という方針を打ち出し、
現在の三重県域には「度会府」が置かれました。
明治新政府は「祭政一致」に向け、初の天皇神宮参拝計画や神仏分離化を推進した。
それに伴い、度会府はこれまでの山田奉行所となる形で、伊勢神宮の守護などを担った。
しかし、翌年7月、府は東京・京都・大阪だけに限られ、他の府は県と改称され、度会府も度会県となり、
管轄地も大幅に広がりました。

明治4年(1871年)、明治政府は、廃藩置県により、三重県域は、伊勢国北半分と伊賀国からなる「安濃津県」と、
伊勢国南半分と志摩国に紀伊国牟婁郡の一部を加えた「度会県」の二県となりました。
翌年明治5年(1872年)、安濃津県は三重県に改称し、度会県の一部が三重県に引き渡されました。
そして明治9年(1876年)、度会県は三重県と統合され、現在の三重県が誕生。同時に度会県は廃止されました。

今となっては、度会町は山間地で年々人口も減少している過疎地域ですが
かつてはいわば三重県の中心的な役割も担っており、
その一部が「度会町」という名に引き継がれているようで、
この調査を通じて地元度会町に少し誇りを持てるようになりました☆

<伊勢神宮外宮奉納米はこちら>

 

■度会県復活プロジェクト始動!~スタートアッププロジェクト参加者募集中~■

さて!その廃止にあった「度会県」が、なんと平成30年8月より、WEB上で復活しました!
ざっくり説明するとかつての度会県域にあたる三重県南部の地域再興プロジェクトです。
「度会県民」に登録すると、三重県南部のさまざまな企画に参加することができます。
度会県民の登録は、南三重を盛り上げたいという想いがある方ならどなたでもOK!

1/12(土)にはこだわりのお米づくりスタートアッププロジェクト@度会町が企画されており、
現在参加者募集中です!(定員5名/埋まり次第募集終了)

「農家って普段、田植えと稲刈り以外、何をしているの?」
「度会町って何て読むの?どこ?」「おんじ屋ってどんなところにあるの?」
そんな疑問が解決しちゃう参加型プロジェクトです。

詳しくは度会県公式ホームページをチェックしてみてくださいね☆
お問い合わせページからもお問い合わせを承っております。

伊勢度会のお米が美味しい理由


伊勢度会はひとつひとつの田んぼが小さい上、森に囲まれ、イノシシやシカの獣害が比較的多い地域です。
それでも私たちが伊勢度会を活動拠点に選んだ理由は、それだけ恵まれた自然、特に生きた水のおかげで、お米の美味しさが格別だからなのです。